日記 2010年 4月     



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2010年4月1日(木) 晴れ晴れ
値切り倒したキャリーバック
 月が替わりました。 地域によって違うのでしょうが、フィリピンでは、今月が1番暑い月ではないのでしょうか。 6月からは、雨季になりますので、来月あたりから、少しずつ涼しくなるのでしょう。 暑いと、考えることは1つです。 冷たいビールで、喉をうるおすことです。 それでは、1本だけ、お先に失礼します。
 マニラからの続きです。 マニラのホテルを出て、エルミタのロビンソンデパートに行きました。 昼食と、お土産の買い物です。 買っているうちに、持ちきれないくらいになりました。 そうだ、私の使っている、古いキャリーバックが壊れているので、新しいのを買って、それに入れて持ち帰りましょう。
 3階のバック売り場へ行きます。 大きめのがいいでしょう。 ちょうど手ごろなのがありました。 これいくらと聞くと、5千ペソです、と言います。 買うからディスカウントして、と言います。 すると、半額でいいと言います。 もっと安くとねばります。 結局、1,950ペソになりました。
 もちろん、手さげカバンもおまけにと、付けさせました。 荷物を、キャリーバックに詰めて、サンパウロのビクトリーライナーのバスターミナルへと向かいます。 ロビンソンから、タクシーで70ペソくらいです。 以外に知られていない、バスターミナルです。 昼でもバスの中は冷えますので、長袖が必要です。
 きのうの夜、停電がありました。 リッキーが、発電機を回します。 夜空を揺るがすエンジン音。 それでも、電気は点きました。 3分もすると、エンジン音が止んで、電気も消えます。 どうしたのだ、と聞けば、ガソリンがなくなったと。 バカか、そうやって、ふざけていればいい。

 
 

2010年4月2日(金) 晴れ晴れ
ブラック・フライデー
 きょうは、ブラック・フライデーです。 キリスト様の処刑された日なのですね。 暗黒の、いや漆黒の金曜日とでもなるのでしょう。 十字架を、背に背負った人や、いばらの冠を被った人、背中を鞭打ち歩く人と、キリスト様の苦難を、自分の身体で表現します。 カトリックの国の信仰です。 キリスト様に、右倣(なら)えです。
 そんなことで、きょうは、BBQハウスはお休みです。 向かいのカラオケ屋もやっていません。 チャンスとばかりに、ガキを連れて、ビーチに行くアイリーンです。 私は、疲れてビーチどころではありません。 ビーチよりも、ビールです。 部屋で、1人飲んでいたほうが、心が休まります。
 しかし待てよ、店は開かず、君達は海辺でBBQか、アイリーン。 いいの、深く考えないのね、って、そんなことを言うのなら、ねもとレストランで、まぐろの刺身に餃子のタレを、小皿に注いでくれたな。 それも、わさびを溶かしてです。 まあ、こんなことは、あたりまえですから、いいのですよね。
 きのうの朝食は、日本食材店で買った、味噌ラーメンです。 味噌ラーメンはフィリピンにあるの、と聞けば、ないよ、と言います。 で、昼は納豆です。 夕方、お酒のつまみにと、フライドチキンを持ってきてくれました。 あのね、なんなの、このフライドチキンは、皮がありません。
 1番クリスビーでジューシィな皮が、ないのです。 要は、カリッとした、衣のない裸のチキンです。 美味しい皮だけ食べて、私には食べ残しですか。 もう1度衣を付けて、揚げてくれればいいのですが、そこまではしてくれません。 いくら酔っても、味も脂身もないパサパサの肉です、食えません。
 今朝は、納豆に海苔で朝食です。 昼は、サーモンの輪切りを焼いて頂きます。 で、夜は、アイリーンがビーチから帰るのを待たなければなりません。 酔いが回っている私ですから、醤油ラーメンでも食べて、寝ることにします。 キリスト様も、ラーメンを食べたのでしょうか、そう、最後の晩餐にです。




2010年4月3日(土) 晴れ晴れ
久しぶりに とっつぁんが帰ってくるらしい
 先日、近所に住む、とっつぁんのお姉さんが亡くなりました。 月曜日に、とっつぁんとおっかさんが、ミンダナオから戻って来ます。 とっつぁんは、60才ちょいですから、お姉さんは、70才にはなっていないのでしょう。 寿命の短い国ですから、しかたがありません。 美人薄命と送るしかありませんよね。
 出棺が月曜日と聞きました。 私も参列しなければなりません。 間に合うのか、月曜に戻るとっつぁん、まあ、約束の時間には遅れるフィリピン人ですから、とっつぁんが来なければ、来るまで、出棺を見合わせるのでしょうね。 火葬ではありませんので、亡骸(なきがら)を棺(ひつぎ)に入れておけばいいだけです。
 きのうは、ブラック・フライデーでした。 キリスト様の死んだ日で、今週は、ホーリーウィークになるのでしょうか。 きょうも、BBQの販売はしないようです。 でも、カラオケはやるのでしょう。 そんなことはね、私は今朝、醤油ラーメンに、昼に納豆、それに、冷蔵庫を覗けば、あらら、豚汁まで買ってきていたのですね。
 フルーツの季節も、来月1杯。 今は、安くフルーツが手に入ります。 季節がら生産過剰のフルーツです。 熟したイエローマンゴが、20〜30個で100ペソで買えます。 マンゴだけではありません、今が食べごろのフルーツも、値を下げています。 この季節、フルーツ好きの人には、美味しい季節です。
 ジープニーのドライバーが、しばらく来ませんでした。 どうしたのかな、とアイリーンと話します。 まあ、金がないのだろうと、私。 すると、いきなり来て、バギオに行っていたのだと言います。 お土産を持ってきたと言います。 なになに、イチゴジャムに、ビスケットに、フルーツの砂糖漬けです。
 どこがバギオなのだ、こんな甘いもの、しょうがない、おいアイリーン、ビールを1本飲ませてあげなさい。

  
  

2010年4月4日(日) くもり晴れ
バカ娘が生まれた日
 さてと、きょうは、バカ娘の誕生日です。 ブタを1匹、プレゼントです。 近所のプールに行くといいますが、私はいいですと、断ります。 なんだ、カラオケが昼間から鳴っています。 誕生日ですから、それもいいでしょう。 昼寝も出来ないので、ビールを飲みます。
 夏休みですから、ガキどもが集まります。 みんなでプールですから、私の気持ちも分かるでしょう。 でも、庭先で飲んでカラオケをされたのでは、飲まないわけにはいきません。 部屋でビールを飲み、くつろいでいると、ラニーが、午後からプールに行こうと言います。 でも断ります。
 酔いも回った、午後の3時ですか、これまた酔いの回った、海辺に住むランディーが、プールに行こうと誘いに来ます。 男の誘いですから、断るわけにもいきませんよね。 ほいほいと、ランディーのトライシクルに乗り、プールへと向かいました。 着けば、さすがに夏真っ盛り、混んでいます。
 アイリーンが、カメラを貸してと言うので、朝、渡しました。 家に帰り、カメラはと訊(き)けば、あれッ、ないと。 ランディーが、持って行ったと言います。 まだ、なくしていないだけ、ラッキーと思うしかありません。 明日の朝、カメラを持ってくるそうなので、写真は明日掲載いたします。 
 まあ、本当にカメラがあればの話ですよね。 明日は、とっつぁんのお姉さんの埋葬です。 来るのかなとっつぁん、明日埋葬の前日のきょうにいない訳ですから、まあ、来ないのでしょうね。
  

2010年4月5日(月) 晴れ晴れ
出棺は今日じゃなかったのか
 とっつぁんとおっかさんが、ミンダナオから帰ってきました。 帰り方が分からないので、道案内に親戚の女の人を連れてきました。 23才だそうです。 とっつぁん達がミンダナオに戻るまで、メイドで使うしかありません。 ところで、亡くなった、とっつぁんのお姉さんの出棺は、まだなのかな。
 マニラからも、3〜4日前から、親戚のおばさんと娘が来ています。 アイリーンの部屋を提供していますが、24時間、冷房を点けっ放しです。 関節が痛くなる冷房病にでもなって、帰るのではないのでしょうか。 今月は、電気代がかさみそうです。 ここは南国、自然の暑さが1番いいのです。
 アイリーンが、オロンガポの自動車教習所へ行きました。 やはり、1週間程度は通うようです。 出かけるときに、仮免は持ったのと訊けば、あッ、忘れていたと、仮免ですから、公道を走るのでしょうかね。 教官も大変です。 初めてハンドルを握る人間です、命の危険がありますよね。
 朝遅い朝食でしたので、昼飯を食べずにいると、おっかさんが、ゆで玉子を持ってきてくれました。 やけに小さな卵です。 ウズラの卵よりは大きいですが、裏のニワトリが産んだ卵でしょう。 あれッ、1個だけですか、これなら3個はいけますよ。 食欲がない私だと、気遣ったおっかさんなのでしょう。 涙が出ます。
 ゆで玉子を食べ終わると、ラニーがインスタントラーメンを持ってきました。 なんだよ、インスタントラーメンにゆで玉子だろう。 まあいい、しかし、このくそ暑いときに、アッチッチのラーメンはないだろう。 せめて、つけ麺にでもしてくれればね。 ところで、私の免許証はどうなるのだ、アイリーン。


    

2010年4月6日(火) 晴れ晴れ
葬儀に行きました
 きょうは、亡くなった、とっつぁんのお姉さんの出棺です。 それともう1つ、リッキーのケチ女房の誕生日です。 ケチ女房は、御目出度い誕生日なので、葬儀には参加をしません。 ケチ女房の誕生日のパーティーは、納棺が済んでからでいいでしょう。 昼に、お姉さんの家へ向かいます。
 親戚連中が、次々と集まってきます。 しばらく待って、霊柩車の到着です。 霊柩車を先頭に、街を練り歩き、まずは教会まで行きます。 私は、リッキーのトライシクルで、後を追ってもらいます。 牛歩の足並みです。 この暑い中を、1時間も歩いて教会まで行くのです。
 教会の神父に、棺(ひつぎ)を前に、祈りの言葉をもらいます。 終われば、聖水を棺に掛けて清めます。 そして、納棺のために、墓地へと行くのです。 また、牛歩で30分くらい歩きます。 私は、トライシクルの中ですが、陽射しが尋常ではありません。 トライシクルの中で、BBQになるのかと思ったほどです。
 やっと、墓地に到着しました。 霊柩車から出された棺を納棺します。 その前に、お別れがあるのです。 棺を全開にします。 横たわるお姉さんの遺体です。 白い衣装を身に着け、棺に横たわっています。 嗚咽(おえつ)が漏れます。 私も、思わずもらい泣きです。 私の家に遊びに来ていたお姉さん、さようなら。
 納棺が済んで、お姉さんの家に1度戻ります。 厄除けの、玄関に焚いた火を、またがないとなりません。 ビールでも出るのかな、と思ったら、コーラにスナック菓子ですか。 早く帰って、ビールを飲みましょう。 もう、喉はカラカラです。 それに、ケチ女房の誕生日もありますからね。
 家に戻って、手を洗い、部屋に入ります。 洋服も、すべて取り替えます。 フィリピンのスタイルです。 シャワーを浴びて着替えます。 それで、冷たいビールはと見れば、ありません。 きのうで、完売ですね。 まだ夕方です。 ビールを仕入れに行かせます。 で、ケチ女房の誕生日、明日報告致しますね。




2010年4月7日(水) 晴れ晴れ
生まれ持っての形状か
 今日は、今朝の8時頃から停電でした。 通電したのが、午後の5時です。 1番暑い時間の停電です。 喫煙室にいても、扇風機は回りません。 部屋のベッドに横になっても、暑くて寝られません。 汗をかきながら、本を読みますが、暑くて頭に入りません。 やることがないというのも、困ったものです。
 きのうは、ケチ女房の誕生日でした。 それなりに、祝い事を済ませます。 人は、そんなには集まりませんでした。 こじんまりとした、誕生日のパーティーでした。 振る舞いに、お金を使わないケチ女房ですから、それなりになるのでしょうね。 とっつぁんのお姉さんの葬式に、誕生日と慌(あわただ)しい1日でした。
 バカ娘、おばあさんの葬式にも、ケチ女房の誕生日にも顔を出しません。 遊び呆(ほう)けているのですね。 私のバスルームで、髪を茶色に、染めたのでしょう。 それは、いいのです。 歯でも磨こうかなと、歯ブラシを見ればありません。 バスルームのゴミ箱に、私の歯ブラシが捨ててあります。
 それも、茶色く染まってです。 一応、洗ってと思い、洗面所に置いておきました。 すると、その歯ブラシが、またなくなっています。 証拠隠滅で、どこかへぶん投げたのでしょう。 アイリーン警部に事情を話し、バカ娘の取調べです。 どこまでも知らないと白(しら)をきるバカ娘です。 
 盗人猛々しいバカ娘に、堪忍袋の緒が切れた私です。 バカヤロウ、歯ブラシは、歯ブラシ入れに置いてあるのだ。 それも、日本の1番高い歯ブラシを毛染めに使いやがって、しかも、発見されれば、証拠隠滅ときたか。 バレなければいいというものでもないだろう。 謝れば済むことなのだ。 もちろん、謝りなどはひと言もありません。 
 もう、お前には、アイリーンの部屋、バスルームは使わせないと宣言して、この、嘘つきバカ娘、形状記憶バカ人間めが、と咎(とが)め、追い出してやりました。 まだいるおばさんには、バカ娘の兄のオカマの泥棒や、今までのバカ娘の行動を話しました。 アイリーンの部屋を使っているおばさんです、お金には注意して下さいと。


 

2010年4月8日(木) 晴れ晴れ
修行の旅に出たバカ娘
 アイリーンは、きょうも自動車教習所です。 話を訊(き)けば、やはり公道を走っての練習だそうです。 オロンガポの市内を走るそうです。 車は、マニュアル車だそうで、市内では、そんなにスピードは出せませんから、入れても3速ぐらいまででしょうね。 事故には、気をつけてほしいものです。
 日本では、教習所に通い、何段階かの過程を経て、やっと仮免です。 それから、公道での練習に、試験ですね。 こちらでは、いきなり仮免の交付です。 1週間くらい、教習所に通い、ペーパー試験を受ければ、本免許となるのでしよう。 ですから、交通道徳などはありません。 
 追い越しや、割り込みは当たり前です。 神経が図太くないと、運転は出来ません。 マニラで運転するのは、至難の業だと思います。 ここは田舎ですから、まだ道は空いています。 この辺なら、私でもなんとか運転は出来ると思います。 車を買ったにしても、アイリーンの運転の車には、私は乗りませんよ。
 マニラから来ていたおばさんと娘が、きょう帰りました。 嬉しいことに、バカ娘をマニラに連れて行ってくれました。 すごい、荷物です。 サリサリの前に置いてあります。 なんだ、炭まで持って帰るのですか、それも、3袋も。 それはいいのですが、バカ娘を持って行ってくれた、ということに感謝しています。
 しばらくは、静かになるのでしょう。 考えれば、バカ娘は荷物持ちかな。 おばさんの家で、メイドでもやってマニラで遊び、もう帰って来なくてもいいぞ、君は、マニラが似合っていると、私は思うよ。 そんなことで、ホステス修行に出かけたバカ娘です。 前途多難は、みなが承知しているからね。




2010年4月9日(金) 晴れ晴れ
教習所通いのアイリーン
 今朝、アイリーンがオロンガポへ行こうよ、と言います。 何をしに私が、と訊けば、免許証をもらえるから行こうと言うのです。 だって、日本の免許の英訳がないのだぞ、と言えば、多少のお金を払えば、もらえるのだそうです。 融通が効くなあ、こちらのLTO(陸運局)は。
 もらえるなら、何もきょうでなくてもいいでしょう。 後日、体調のいい時に行きますよ、と断ります。 それでも、オロンガポに行くアイリーンです。 何をしに、と訊けば、きょうも、教習所だそうです。 そして、サリサリの仕入れもとのことです。 なんだ、結局私は荷物持ちか。 よかった、断って。
 何日か、教習所に通っているアイリーンです。 きのうは、どこを走ったの、と訊けば、国道を北に走ったと言います。 カステリオスまでの往復だそうです。 そうすると、30〜40キロは走ったことになります。 カステリオスは、私の住む街の、中間地点くらいでしょう。 理屈抜きの実践ですよね。
 きょうは、どこを走っているのか、まあ、走らないと慣れませんからね。 教習所の車で、1度事故でも起こせば、恐怖も身につくでしょうしね。 それがないと、安全運転は望めません。 するとなにか、きょう私がオロンガポに行っていたら、アイリーンの運転する車に乗せられていたということですか。
 静寂の1日です。 バカ娘がいないと、静かです。 タコ坊主のルピンもいません。 ルピンはどこへ行ったのだと訊けば、アイリーンとオロンガポへ行ったとのことです。 まあ、今頃は、アイリーン運転の車の中で、降りる、降りると号泣していることでしょう。 無事に帰れるのかルピン。 棺(ひつぎ)は、予約しておいてやる。




2010年4月10日(土) 晴れ晴れ
お客さんが
 きょうもアイリーンは、オロンガポの教習所へ行きました。 学科の授業があるのだそうです。 朝の9時に出かけて行ったのでしょうか。 昼飯を買ってきてあげると、出かけました。 もう午後の4時ですが、私の昼飯が来ません。 しかたがありません、晩酌をして、昼飯を待つことにします。
 きのうの夜の酒のつまみは、マニラの日本食材店で買ってきた、冷凍コロッケです。 5個入りで、120ペソです。 全部は食えないので、3個だけ揚げました。 BBQハウスの揚場で揚げたので、見ているケチ女房にやらないわけにはいきません。 1個、ケチ女房にあげて、1個は、アイリーンが食べて、私も1個です。
 あと2個、冷凍庫にありますから、これは、こっそりと揚げて食べるしかありません。 コロッケ定食か、コロッケカレーで頂きたいと思っています。 なぜ、冷凍コロッケなど買ってきたのでしょう。 アジの干物でも買ってくるのでした。 日本食材店は、日本のちょっとしたスーパーと変わらないですね。 
 今朝は、納豆に卵と味噌汁です。 卵は生では危ないので、半熟の目玉焼きにします。 納豆には、もちろん長ネギにからしを入れます。 味噌汁には、揚げ玉を入れて、コクを出します。 目玉焼きをご飯の上にのせて、少しかき混ぜ、納豆をその上からかけます。 まあ、好き好きですよね。
 と、夕方、日本人の方が遊びに来てくださいました。 有名メーカーの部長さんです。 近所のホテルも、シーズンなので満室です。 ならば、アイリーンの部屋をと、泊まって頂きます。 カラオケがうるさくて寝られないと思いますが、それもいいでしょう。 奥さん子供さんが日本にいて、こちらに住みたいと言う部長、さてどうなることかですよね。




2010年4月12日(月) 晴れ晴れ
ご迷惑お掛け致しています
 きのうは、日記の更新を出来ませんでした。 日本人の方と、そのホテルに酔って寝てしまった私です。 近所のプール付きのホテルです。 田舎ですから安いですよ。 1泊1,500ペソで、泊まれます。 キングサイズのベッドの他に、2段式の子供用のベッドがあります。 私は、そこで寝させてもらいました。
 で、今朝起きれば、ジンがあるではありませんか。 あるなら飲まないわけにいきません。 私だけ飲みます。 日本人の方は飲みませんよ、朝からアルコールという身体には、なっていないようです。 そのうち、アイリーンが来ました。 朝食を家で食べましょうということです。
 家へ戻り、朝飯を食べながら、しばらくくつろぎます。 お客さんは、マニラに帰らないといけません。 すると、ラニーが、オロンガポまで案内すると、自分の結婚の書類を持ち、なんなんだラニー、案内じゃなくて、自分の用事だろう。 まぁ、そんなことはね。 で、お客さんは、お帰りになりました。
 きのう、ビーチに行って、写真を撮って、ホテルのプールの写真もありますが、なんと、カメラがない。 カメラがないのでは、写真を載せられませんよね。 どこでどうなって、カメラがなくなったのか、まあ、いつものことです。 きょう、アイリーンは、教習所です。
帰ってきたら探すことにします。


2010年4月13日(火) 晴れ晴れ
日本では廃車の車がこの値段
 きょうは、オロンガポへアイリーンと行ってきました。 中古車を見に行ったのです。 友達などの情報によれば、50〜60万円だろうということです。 予算はこれで決まりですよね。 さあ、スービック・ベイの中古車屋へと、足を運びます。 1件目は、古い車が30万ペソです。 値切っても応じてくれません。 はい次。
 次の中古車屋は、わりときれいです。 日本人の方もいて、話をすれば、日本では廃車にするような車が、50万円だと言います。 まあ、10万キロなんて、ざらに走った車ばかりです。 その方は、ホンダの車を買っていました。 値段を訊けば、50万円だそうです。 そんなものかな、と展示されている車を見ます。
 おやッ、トヨタのガイアがあります。 3列のシートで、7〜8人は乗れるでしょう。 後ろのシートを倒せば、荷物も積めます。 色は、黒と白があります。 もちろんオートマですよね。 黒も白も35万ペソだそうです。 黒は9万キロの走行です。 白がなんと、20万キロ走っています。 ならば黒ですよね。
 まけてもらい、30万ペソで買いました。 1週間で、すべてを調整して、受け渡しです。 白が20万キロということは、あと、10万キロは走る黒でしょう。 でも、3年も乗れば、買い替えます。 買値と同じ値段くらいでは、売れるのでしょう。 リッター15キロは走ると言っていました。 2千CCですから、10キロも走ればと思っています。
 車は、当たり外れがありますよね。 でも、10万キロも走った車です。 尋常の車ではありませんよね。 アイリーンの練習用の車です。 こんなもので、ちょうどいいのでしょう。 ところで、誰がオロンガポから車を持ってくるのでしょう。 まあ、ジープニーのドライバーでも呼びつけて、持って来させるしかありませんよね。


  

2010年4月14日(水) 晴れ晴れ
また痩せたかな
 ピカッ! と光る稲妻。 ザンッ! と屋根を震わせる衝撃音。 雨が5センチの幅で落ちてきたのでしょうか。 そのあと、バチバチバチッ! っとトタン屋根を叩きます。 凄い雨です。 表のトタン屋根を見れば、雨粒の衝撃で火花が散っています。 と見えるような、凄い雨のきのうの夜でした。
 久しぶりの大雨です。 カラオケの客も右往左往、歌っている場合ではありません。 でも雨は、30分くらいで止みました。 通り雨でしょうか。 雨季も近付いているのでしょう。 中古車屋から、早く帰ってきてよかったです。 きょうは、晴れていますが、風が強いですね。 今朝起きれば、体調がよくありません。
 食欲がないのです。 きのう暑い中、中古車回りなんかしましたから、暑さにやられたのだと思います。 食べないと身体に悪いでしょうと、アイリーン。 食欲はないけれど、ビールくらいなら飲めます。 アルコールを身体に入れれば、食欲もわくでしょう。 そんなことで、昼から1本です。
 鏡に映した自分の顔、鉋(かんな)で頬を削いだような険悪な相貌です。 逃亡者か、必死に追いかける捜査官のような、やつれた痩身。 幽鬼のようです。 アイリーンやラニーやリッキーは、よく太れますよね。 今年も日本に帰り、栄養を補充しないといけませんね。 それと、お金の補充もです。
 サリサリの立ち上げから始まり、部屋の増築、それに、BBQにカラオケ屋の立ち上げと、矢継ぎ早に過ぎた2年ほどでした。 玄関先のタイル貼りもやり、庭には、セメントを打ち、大分きれいになりました。 車も買うことが出来ましたし、少し休憩をしなくては、どうにも老体が付いていきません。
 日本の夏、お歳暮が届くころに、帰る予定です。 明太子とイクラは来ますので、白いご飯で、少し太らないといけません。 と、まだ4月の半ばですね。 帰ったら、少し古びた実家の玄関のドアと、門扉を取り替えて、1人住むお袋には、苦労を減らしてやらなければなりません。
 

2010年4月15日(木) 晴れ晴れ
ミラーボール
 きょうは、アイリーンとラニーで、オロンガポの中古車屋に行くと言います。 納車はまだでしょう、何をしにと訊(き)けば、車の整備士を連れて、見てもらうのだそうです。 何もそこまでしなくても、たかが中古車ですよ。 買って、調子が悪かったらいやでしょうと、まあ、それはそうですよね。
 中古車屋では、タイヤを新品に交換して、小さなキズの板金修理や、エンジン周りの点検など、すべてやり、受け渡すと言っていました。 ナンバープレートや車検もやってくれます。 すぐに乗れる状態での受け渡しですから、こちらは楽です。 心配しないで大丈夫という、中古屋です。 すべて込みの値段ですよね。
 リッキーが、カラオケハウスに、配電をしています。 何をやっているのだと見ていると、ミラーボールを取り付けています。 ミラーボールを見れば、ところどころ鏡が剥げ落ちています。 いいミラーボールだなリッキー、ダンスホールにでもするつもりか。 鉄格子のカラオケハウスです。
 ミラーの反射の色を受け止める壁がないのだぞ、リッキー。 まあ、夜に見てみましょう。 夕方、アイリーンとラニーが帰って来ました。 どうした、中古車屋の車はと訊けば、整備士が見て、今のところ問題はないと言います。 月曜に、走行テストをしてくれるそうです。 何もそこまでね。
 その、整備士というのは、どんな人なのかと訊けば、ビクトリーライナーのバスの整備士だそうです。 それなら、少しは安心ですよね。 まあ、10万キロ走った車ですから、多少はおかしいところがあるのでしょう。 エンジンは問題ないそうで、オイルにブレーキ、バッテリーに注意するくらいでいいみたいです。
 リッキーに、車の中に、ミラーボールでも付けてもらいましょうか。 テレビだけはオプションで、6,000ペソで付けてもらいます。 エンジンが正常であれば、問題はないのでしょう。 すべて中古車屋がやってくれる、フィリピンの車事情です。 カラオケは鳴っているのに、ミラーボールはどうした。
 いくら待っても、ミラーボールは回りません。 写真を撮りたいのだリッキー、と言えば、まだ電線を繋いでいないと、ああそうですか。 そんなことで、写真は後日に載せますね。
 

2010年4月16日(金) 晴れ晴れ
客を呼ぶ 不思議な玉
 きのうの夕方、リッキーが、カラオケハウスに取り付けたミラーボール。 遅い時間に、やっと回り始めました。 なんか、いま1つですが、まあいいでしょう。 蛍光灯に群がる蛾のように、客が次々に入ってきます。 庭先まですべて埋まりました。 それが、3回転ぐらいしましたか。
 冷蔵庫のビールを見れば、もうありません。 補充をと思い、店に行けば、すべて売り切れとのことです。 何ケースあったのかは知りませんが、私のぶんは残しておいてね、といつも言っているでしょう。 恐るべき、ミラクルミラーボール、玉が天井から落ちてこないことだけを、祈ります。
 きょうラニーは、朝からパンパンガに行きました。 パスポートの名前の変更です。 結婚したので、チェン・ラニーとでもなるのでしょう。 そう、早くから動かないと、台湾に行けなくなりますよ。 私が思うには、チェンに催促されて行っているのでしょう。 今までのラニーの行動を見れば、うなづけますよね。
 夕方、お客さんです。 いつも来る常連さんです。 まだ、日は落ちていません。 お客さんの家は近所です。 アイリーンが、車の運転を練習したいので貸してと言うと、快く持ってきてくれました。 三菱の多人数が乗れる、よく送迎用に使っているような車です。 イバまで行ってくるねと、出かけてしまいました。
 ディーゼルエンジンの特徴のある音です。 お客さんと、メイドのテスが同乗しています。 無事に帰って来れるのでしょうか。 運転は、慣れですから、多少大きな車にも、乗ったほうがいいのでしょうね。 初心者は前方ばかりで、サイドやバックミラーを見ませんから怖いですよね。 となると、やはり、ミラーボールを付けるしかありません。

    


2010年4月17日(土) 晴れ晴れ
ミンダナオから来たマリデル
 ミンダナオから、とっつぁん達を案内して来た、23歳の娘さん、名前をマリデルといいます。 子供が1人いるそうです。 未婚の母ですね。 それはいいのですが、マリデルは、デパートのSMシューマートや、華僑の販売店で勤めた販売員だといいます。 ならば、サリサリをやってもらいましょう。
 この家に来たとき、アイリーンが、私に紹介してくれましたが、ひと言も口をききません。 ずいぶんと、大人しい娘だなと思いました。 背丈は私くらいあるでしょう。 女にしては大きいですよね。 きのうの夜、そろそろ冷凍庫の霜取りをしないとな、と店に行きました。 すると、マリデルがいます。
 大人しいマリデルと思っていましたが、客が来れば、接客は半端ではない強気です。 接客のやり方を心得ています。 計算もきっちりやります。 暇なときには、英字新聞を読んでいます。 私が思っていたマリデルではありません。 でも、私には、猫を被っているのか、無口なのです。
 いつか、その大柄なケツでも、さわってやろうかと思いますが、まだね、冗談が通じるまでは、辛抱します。 で、霜取りです。 冷凍庫の氷や食品をぜんぶ出して、マリデルの新聞を被せ、熱の放射を防ぎます。 零下15度に固まっている氷ですから、暖かいところにおいても、30分では、表面も溶けません。
 30分もあれば、霜取りは終わります。 もちろん、電源を切っての作業です。 終われば、氷や冷凍食品をもとに戻して、冷凍庫の電源を入れます。 こんなことをやる、フィリピン人はいないのでしょう。 驚いていた、マリデルです。 マリデルには、朝の7時から、夜の10時まで、店をやってもらっています。
 夜の10時、マリデルには私から、もう終わりの時間ですから、寝なさいと声を掛けます。 私が店に居ては、マリデルも時間ですから戻りますとは、言いづらいでしょうからね。 あれッ、きのうの話で終わってしまいました。 きょうの話は、明日書けばいいのですよね。

     


2010年4月18日(日) 晴れ晴れ
緑の黒髪
 きのうの昼、アイリーンが、私の髪の毛を染めると言います。 白髪が多くて、おじいさんみたいだと。 年相応ですから、なにもこれでいいのですが、染めると、毛染め液をかき混ぜ始めました。 バカ娘ではありませんから、歯ブラシでは染めません。 添付のブラシで染めます。
 毛染め液のメーカーは、と見れば、日本語で美源と書いてあります。 日本のメーカーなら、安心です。 値段はと見れば、59ペソ、約120円ですよね。 ブラシで、髪に液を塗ります。 塗り終えて、20分も待つのだそうです。 そして、シャワーで洗い流します。 どれどれと鏡を見れば、あらら、白髪がありません。
 櫛で髪をとかせば、真っ黒の髪の毛です。 口髭は白髪混じりなのに、髪だけ真っ黒でおかしくないか。 まるで、かつらのようです。 ロマンスグレーが、緑の黒髪になりました。 てっぺんが薄いのですから、それなりの色がありますよね。 白髪混じりくらいで、ちょうどいいのですよね。 そう、年相応に。
 きのう、アイリーンが、お客さんの車を借りて、イバまで運転の練習です。 日暮れ頃に、無事に帰ってきました。 お客さんに、お土産を買ってもらったと、ジョリビーのビニール袋を抱えてきました。 どこまで図々しいのでしょう。 車を借りたうえに、お土産までもらって来るとは。 いい加減にしなさい。
 話を訊けば、タコルピンも乗っていたらしく、ジョリビーが見えたので、ジョリビージョリビー! と喚(わめ)いたのだそうです。 お客さんも、しょうがありません、買ってあげるしかないですよね。 なんだかんだと、1,000ペソは使わせたというのですから、タカリババア顔負けですよね。
 きょうは、昼間寝ていたので、何もありません。 起きたのが、午後の4時です。 なんだ、ビールの時間ではありませんか、ラーメンでも食べて、ビールを飲みます。
 
 
 

2010年4月21日(水) 晴れ晴れ
 さてと、久しぶりに書かないと、お前は死んだのかなんてね、楽しいことを言う人がいるでしょう。 大丈夫ですよ、酔いながらも生きていますからね。 車のことで、あたふたしまして、日記を書けなかったのです。 出不精の私を引きずり回すアイリーンです。 私はたまりませんよね。
 それで、まあ、車はきました。 翌日、オロンガポへドライブです。 運転手の海辺に住むランディーが、ブレーキが効かないといいます。 いいでしょう、買った中古車屋に電話をして、代車を持ってきてもらい、車を引き取ってもらい、修理に出します。 明日には、直るとのことです。
 買ったばかりで、1日でのブレーキの故障ですからね。 ブレーキパッドの消耗です。 このぐらいなら許しましょう。 それで、きょう、車屋に行きました。 徹底的に攻撃をしたことは、言うまでもありません。 ブレーキが効かないのは死活問題だろう、このバカ、ボケでもいいですよね。 散々文句を言って、すっきりと帰りました。
 そんなのが、こちらの車事情なのですね。 で、直った車に乗り、帰って来た訳です。 それはいいのですが、オロンガポヘ行った目的は、私の免許の取得にあります。 それが、この2〜3日のごたごたで、出来ませんでした。 また行くのですよね、アイリーン警部、出不精の私ですから、どうなるのでしょうか。
 車は問題なく走ります。 私は問題ありで走ります。 まあ、買ってからのことですから、こんな世界と理解しないといけませんよね。

  


2010年4月22日(木) 晴れ晴れ
傷だらけの人生
 練習だ、と言うことで、アイリーンが車を運転します。 助手席には、私です。 じゃあ、近くのマーケットまで行きますか。 アイリーンが、アクセルを吹かします。 勘弁して下さいよ、サイドブレーキを解除しないとダメでしょう。 のろのろと車は走ります。 生きて帰れるのでしょうか。
 曲がるからシグナル(ウインカー)を出してと、おいおい、ウインカーくらい自分で出せよ。 そこまでのオートマではないのですよ。 ミュージックと、CDをいじるアイリーンです。 そんなことをしている場合か、前を見て運転してくれよ。 時速30キロの、マーケットまでのドライブでした。
 なんとか、生きて帰れました。 もちろん、帰りは私が運転しましたよ。 無免許運転ですが、死ぬよりはいいですよね。 すっかり疲れて、シャワーでもと、風呂場を覗けば、なんなんだ、風呂場がガキどもに占領されています。 まあ、子供ですから、私の裸など見ても、なんでもないでしょう。
 バカに関わってはいられません。 裸になりシャワーをします。 バスタブを見れば、コーヒー色に染まっています。 きったないな、お前らと、素っ裸で言っても、話になりませんよね。 タコルピンは、見た目そのままです。 マリカーもいますか。 カッパ少女は、ある日、頭のてっぺんに出来物ができて、てっぺんの髪の毛を切ったわけです。
 それに、カッパの姉のお岩、これは、蚊にまぶたを刺されて、まぶたが膨れ上がったので、お岩となったのです。 まあ、どうでもいい話ですよね。 きょうは、アイリーンとラニーが、ジープニーのドライバーを呼びつけ、オロンガポに行っています。 徹底的に車の検査をするのだと、出かけました。
 私は、もう勘弁して下さいです。 左右の足にケガをしてしまいました。 右足の親指は、コンクリートにつまづき、血だらけ。 左のかかとは、修理屋の釘を踏んで、これまた血だらけ。 なんでこうなるのか。 きょうは、寝ていますよと、送り出しました。 そんなことで、早い更新です。

 


2010年4月23日(金) 晴れ晴れ
恐怖体験
 助手席に私を乗せて、走るハイウェイ。 時速30キロで、トライシクルにも追い越され、ひたすら走ります。 ねえ、アイリーン、裏道が空いていていいんじゃないの、と、裏道へ入ります。 裏道は道が狭いですよね。 そう、対向車が来ると、え〜ん、助けてと、なんなんだ本当に。
 曲がり角です。 曲がりきれないアイリーンです。 なにをやっているのだ、ブレーキを踏め。 ギヤをバックに入れて、なんとか曲がり角を脱出します。 時速30キロで曲がれないバカがどこにいるのだ。 裏道ですから、後続の車もありません。 よかった、空いた田舎の道で。
 人がいっぱいいるよ、とアイリーン。 選挙なのですね。 道の真ん中に車を止めて、話し込むアイリーンです。 おい、後続の車が来ているぞ。 それでも話しているアイリーンです。 キャンディ頂戴なんて、後ろで待つ車はどうするのだ。 ままよ、と言うことなのでしょう。 私は知りませんよ。
 で、恐怖のドライブを終えて、家に帰り着きました。 よく生きていたなと、自分をほめます。 家のゲートからの車庫入れなど、とても無理なアイリーンです。 私が、バックで車庫入れをします。 しかし、ハイウェイを時速30キロですからね。 後ろに車が詰まって大渋滞です。 でも、なんのそののアイリーン警部です。
 額に汗、となると、喉にはビールですよね。 飲まないとやっていられません。 分かりますよね、この気持ち。


 

2010年4月29日(木) 晴れ晴れ
バギオのお話
 突然、バギオに行くのよ、という話になり、ああそうですか、と答えると、あなたも行くのよと、え〜、私もですか。 よくも、出不精の私を引きずり回すものです。 1泊、せめて2泊くらいだろうと思い出かけたところ、4泊5日もバギオに拘束されました。 本当に、勘弁して下さいです。
 買ったばかりの、新車の中古車で行きます。 運転は、もちろん、常連客のジープニーのドライバーです。 朝の5時、叩き起こされた私です。 行くよと、アイリーンが言います。 なんだ、まだ薄暗いぞ。 まあいいか、と車に乗ります。 見れば、なんだ、ラニーも行くのか、それにカッパとお岩もです。
 行きは、オロンガポを経由してバギオに向かいます。 途中昼食をして、なんと、6時間でバギオに着いてしまいました。 近いなバギオ、いや、スピードが半端じゃないのです。 ジープニーのドライバーの運転を見ていると、怖いので、私は、後部座席で寝ていました。 すると起きてと、アイリーンが助手席から言います。 
 起きれば、なんだ、巨大な岩があるところに停まっています。 ライオン岩だよ、と言います。 大きなライオンが、岩になったのだそうです。 バギオまで来て、嘘を言ってろ、ですよね。 そのあと、地底の見えない、真空地帯みたいなところでの見学です。 高いところはダメな私です。 この手すりが壊れたらなどと、考えるのですね。
 で、山道を登り、バギオの市内に向かいます。 この道も、崖っぷちの道ですから、事故など起こしたら一溜まりもありません。 アーメンと祈りながら、後部座席でビールをくわえながら寝ます。 山肌の岩石、肌寒い空気、アップダウンにイロハ坂、ついに、お岩が、ゲロを吐きました。 いいでしょう。
 市内で、ホテルを探し、一応落ち着きます。 ドライバーの家族や娘(21才)などが、バギオに住んでいると言います。 ならば、顔を出さないわけにはいきませんよね。 まあ、お茶、ってコーヒーですが、飲んで、挨拶をして1日目が終わります。




2010年4月29日(木) 晴れ晴れ
山登りに山下りです
 ホテルにみんなで寝て、2日目です。 温泉があるから行こう、などと言うアイリーンです。 いいね、温泉はと、私も乗り気です。 ドライバーの娘も誘い、温泉へと向かいます。 すごい山道、けもの道、崖が切り立つ秘境を、1時間ほど走ります。 どれどれ着いたのかなと、温泉を見れば、なんだよ、ただのプールじゃないか。
 山奥のプールなのですね。 小動物も見れます。 それでも、山奥にすれば、大小3つのプールに、ホテルもあります。 プールで泳ごうというアイリーンです。 なにを言っているのだ、私は温泉に来たのだ、それに、こんな寒い山奥で泳ぐバカがいるのか、とプールを見れば、いますね、バカが。 
 プールの写真など、撮りません。 さて、帰り道、雨が降り出しました。 山の気候は変わりやすいのでしょう。 崖っぷちを走り帰る道に雷雨です。 許してくださいよ、ですよね。 で、無事にホテルにたどり着き、3日目です。 朝起きれば、体調がよくありません。 カッパ少女に風邪をもらったみたいです。
 午前中の活動はパスをします。 午後からの出動です。 なにッ、イチゴ畑に行くのか。 しょうがありません、行きますよ。 お土産に、イチゴジャムや、ワインを買って、次は、石段登りに行きます、ときます。 おいおい、私の体調を考えての行動をして下さいよ。 と、石段、180段を登らさせられます。 
 石段のてっぺんには、マリア像です。 私の祈りはだだ1つ、マリア様、勘弁して下さいね。 もう、ふらふらです。 早く帰りたいのに、また売店でお土産ですか。 土産を買い込んで、ホテルへと戻ります。 なにをやっているのだお前ら、お土産のワインを開けて飲んでいますよ。 ああ、おいしいねって、バカか。

 


2010年4月30日(金) 晴れ晴れ
やっとおさらばバギオ
 バギオも最後の1日です。 きょうはどこへ、と訊けば、PMA(フィリピン・ミリタリー・アカデミー)の見学だそうです。 まあ、そんなところは、ぜんぜん興味はありませんが、行かなければならないのが、団体旅行のつらさですよね。 また、歩くのかと思うと、やはり、勘弁して下さいとなります。
 バギオは、若者の住む街でいいでしょう。 老体には、アップダウンの道は歩けません。 フィリピン名物のトライシクルが走っていません。 それほどに急な上り坂に下り坂なのですよね。 ビールのガソリンを補給した身体で、なんとか、歩きます。 ガス欠だ、アイリーン、と言っても、もう止めなさいと。
 最後に、原住民と撮影です。 アイタ(先住民族)かな、と思ったのですが、違うのですね。 なんでも、イゴロットという、アイタとは違う先住民族みたいです。 アイリーン博士の説明では、アイタは天然パーマですが、イゴロットは、ストレートヘアーで、肌の色も白いと言います。 
 私が見た感じ、どっちもどっちなのですが、それはそれでね。 もっと黒いフィリピン人もいるだろう、なんて言ったら、1本背負いで投げ飛ばされますから、滅多なことは言えません。 結局、軍のだだっ広い基地を歩き、イゴロットの村を見学して、お仕舞いなのですが、坂道ばかりですからね。 疲れましたよ。
 バギオの街は、小さくはありません。 オロンガポの数倍はありますね。 それが、山の中です。 なんでこんなところにと、不思議な世界です。 韓国の山に建つ家並み、それに似ています。 自然が怒れば、一瞬で崩壊でしょう。 私達が泊まったホテルは、地下1階です。 窓を開ければ、下に道路や建物があります。
 山の斜面なのでしょうね。 地下という感覚が違いますよね。 そんな感じで建っている、バギオの家々です。 山の街、バギオです。 足腰の強い人は、訪れて下さい。 私はもうたくさんです。 それにしても、走ってくれた中古車です。 えッ、女ですか、そんなことは知りません。





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